猫先生の長めのつぶやき

This is what I am. This is what you are.

違和感。想像より遅かったな、社会の変化。

他の記事の内容となんら脈絡はないです。女性のキャリア論でしょうか。
 
 
小さい頃、片田舎に住んでいました。周りは田んぼだらけで、近所づきあいも沢山。みんな大好きで楽しかった。小学校高学年ごろから「大きくなったら、適当に就職して、お嫁さんになる」レールが見えて、非常に違和感を感じた。学校から宿題はあるけれど、人生は社会的な宿題が常に出されていて、提出できなければハブられる。そんな気がした。
 
私が大きくなった頃には時代は変わっているだろうと思っていた。男女雇用機会均等法が採用され、女性の社会進出が増え、自らの選択の上に共働きの家庭も増えてきている。前時代の方々の努力により、私が働く時代には恋も仕事も妥協せず「やりたいこと」全部手に入れられるんだ、そう思っていた。
 
今20台半ばに差し掛かり、望んだキャリアが手に入りそうな気がしています。このまま勉強も仕事もがんばりたいな。仕事後は友達とご飯に行ったり、本屋さんにぷらっと立ち寄ったり、学生時代より大変なことは多いけれど、今が一番幸せだと思う。
 
 
だけど、違和感が拭えない。地元の友達はとうの昔に結婚し、子育てをしている。相次ぐSNSでの結婚報告(結婚!!と闘志を燃やしていたタイプではなく、そこそこで満足する子達が多い気がする。)
 
合コンに参加すれば男性陣は、女性らしい女性を求める(当たり前か)。未来について「こうしたいんだ」と話せば引いていく彼ら。
 
人は1人では生きていけない。ここに罠がある。「こうしたい」と願うレールは社会的には優先事項ではないから、やっぱり結婚や恋人、の話を振られる。特にトピックがなければ変人的な扱いというかさ。出来損ないみたいにみられている気がする。
 
私が大きくなっても社会は変わっていなかった。男女の対等なんてかなった。男は男の役割、女は女の役割を演じるだけだった。
社会は変わると思っているのは、私の視野が狭くマイノリティ的な考えだった。そこそこの学校を出て、そこそこの会社に入り、結婚し、子育てをする。これが自分も周りも満足し、幸せな人生の歩み方なんだろうと思わずにはいられない。
 
あの時必死に「自分は何がしたいんだ?」と考えた日々や、「このやロー!!!!!」とブツブツ言いながら終電間近まで身の丈にあっていない量の仕事をこなした日々。これらの"苦しんだ経験"は、人生を進める上でなんの役にも立たないんじゃないか。子育てをするのであれば、学歴や特に仕事での苦しみ、いらないよ。子供ができたとしても、変に学習ぐせがついている分「最高の子育て」のような本を読み漁って無意識に子供を自分の商品としてしまいそう。
 
そういえば、秋元康さんが歌詞にしてたなあ。初めてこの歌詞を見た時は、反対立場だったけどこれは正解だと思う。

・難しいことは何も考えない
・頭空っぽでいい
・どんなに勉強ができても愛されなきゃ意味がない
・女の子は恋が仕事よ
・ママになるまで子どもでいい

 
 

誰かに何か言われたわけじゃないけれど、最近すごくnonverbalな形で女とはどうあるべきか?を受け取っている気がして。書いた次第でした。