猫先生の長めのつぶやき

This is what I am. This is what you are.

誰のための論文(教採)なのか。

教員採用試験の論文の話です。

教員採用試験の勉強をしていて思うことがある。

論文は価値観や問題に対する具体策を問われる事がある。(都道府県によって問いは異なるけれど。)

ある先生に論文を見ていただいた時のことだ。

その論文は、問題に対する具体策を記述するものだった。 そして荒れた学校であっても打てそうな策にしましょうと言われた。 その策が有用であるとの裏付けに、自分が学校現場で見てきた経験を書きましょう、 そして校長先生が「あ、こんな手があったか。うちの学校でも使えそう。」と思えるものを書きましょう、とアドバイスを受けた。

他の先生からも同様のアドバイスを受けた事がある。

でもモヤモヤする。 何がモヤモヤするかというと、 「校長先生を納得させる」という点である。

教員採用試験の論文採点は現職の校長先生が行うらしいが、 「え、それでいいの?」と思った。

悪い事はないけれど、でも、これからの学校を作っていくのは若い先生方も含まれる。新学習指導要領で「社会に開かれた教育課程」を打ち出しているのに、校長先生だけ納得させるような論文でいいの?と思った。校長先生方も社会に開かれた教育課程を意識していることは分かるが、リスクの面を多くみられそう。「やってみたい」アイデアを「どうすればできるようになるか?」と考えてくれる校長先生はいなさそう、、と思っちゃう自分がいる。

校長先生が低能だとか、そういう事を言いたいのではありません。知り合った校長先生方は全員素晴らしい人格を兼ね備えた尊敬べき方でした。 だけど学校の概念、先生の役割が変わりつつあるこの時代に、校長先生が納得するものを書いてしまっては、いつまでたっても社会の速さに追いつけないと思うのです。だって、高度経済成長期の校内暴力の時代から培ってきた価値観と、"ゆとり" だの言われて子供の自己肯定感の低さが目立つ時代から培ってきた若手の先生の価値観はきっと異なるはずだし、刺さる打ち手も異なるはずだから。そして百戦錬磨の校長先生だからこそ、芯が強いし、未熟な民間経験でもズレを感じる。例えば、異常に厳しすぎる校則とか。

「ああ、校長先生の為に書いているのか。そして校長先生はいい案があれば、受験生から取っちゃおうと思っているのか。」と思っちゃったのです(ひねくれすぎか。笑)

「学校1.0」 で止まっている学校もある中で、校長先生だけを納得させる案はどうなんだろう。。奇抜なアイデアはダメなんだろうな。。と思わずにはいられないのです。上意下達と聞く教育現場で、譲れない事は闘う先生でありたいと思った。何言いたいか忘れた。