みっきまうすの長めのつぶやき

This is what I am. This is what you are.

【やってみた】デジタルデトックスしてみた

デジタルデトックスしてみた

 
※ "やってみた" シリーズとは↓↓
rpvke.hatenablog.com
 
SNS・ニュースアプリを使った情報に振り回されている毎日にうんざり。表面的な情報を頭にインプットしたって、何かが変わるわけではないのに気がついたらアプリを開いていた。寝る前は30分程ネットサーフィンやゲームしてるし。「このままでは疲れるだけだ」そう思い、スマホを1週間使わない生活をしてみました。

スマホを使わないために工夫したこと

私は普段のスケジュール管理など、日常生活に必要な情報はスマホに入れておく主義なのです。そのため「使わない!」と決心しても、様々な言い訳を考えて使い始めるでしょう。そのため、使わない仕組みを実行しました。

  • スマホ内のアプリを削除
    • 仕事で使用するFaebookメッセンジャーアプリのみ残し、削除可能なアプリは全て削除しました。音楽アプリとかね。
    • プライベートなLINEはPCから、毎日1回のみ。
  • 必要時以外は、電源オフ
  • 休日外出時は、スマホを持ち歩かない

 
 

感想

楽になった

「あ、今返信しなくていいんだ」「Twitterみなきゃ」と思わなくて良いので、移動中はぼーっとできます。また、スマホの画面を見ることはありません。つまり疲れません。

よく眠れるようになった

寝る前のスマホは眠りの質に影響するのだとか。なので、スマホを使わなくなっただけで睡眠時間確保+質向上、そして余裕が生まれました。

あ、アプリいらないわ

ダウンロードしているアプリが多すぎたのか、、、、。自分のスマホにはいらないアプリばかりあったことが分かりました。テクノロジーの発達は著しいですが、追いかけすぎず、必要なアプリを調べて見つけられれば、普段はアプリなくて問題ないやと思います。

やっぱりスマホは必要

地図アプリ、よく使うんですよ。この1週間使えなくて、めちゃくちゃ困りました。友人と遊ぶときは、友人だのみで目的地まで連れて行ってもらうし。だから、持たないわけにはいかないと思う所存。
 
でもやっぱり、疲れたら一度試してみてください。後悔はしないです。
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メンヘラは、なぜメンヘラなのか

メンヘラです。しかも豆腐メンタルなので、泣きたくなくても本能で涙が出てきます。よく泣くなあ。いつもビクビクしてる割には人の批判ばっかりしてる。自分自身が行動を起こせていないのは、自分が一番わかってるよ。でもとにかくしんどい。辛いんだもん。だから、嫌な考えばっかり浮かんできて、いつも悲劇の主人公気取りの考えばっかり頭に浮かんじゃう。みんなも辛いよね。だからと言って、プラス思考なんて無理。
 

私なんかが頑張っても無理だよ。
なんであの子はうまくいくのに、私はできないの?
私才能ないし、、、
なんかもうマジ無理。
友達はいないよ、話す子はいるけど

 
 
それゆえ恋愛に没頭したり、趣味に逃げたり、引きこもったり。だって、これらの世界は自分に安心感を与えてくれるんだもん。これこそ本当の自分、と無意識に思っているところがある。そんな自分ってキモいよね、ぶっちゃけ。
 
 
最近、感じることです。私自身も結構なメンヘラだったのですが、なぜメンヘラになるんでしょうか。
 
 

メンヘラは心の傷に気づかず、メンヘラとなる

最近思ったのですが、メンヘラは本人が気づかないうちに心に大きな傷を抱えています。さらにその傷が癒えること・補完されることがないから、満たされずどうしていいかわからなくなって、もがいているのではと感じます。

親からの言葉でひどく傷ついた
両親が離婚した
先生が「お前なんかには無理だよ」と言った
友達が冷たい


大人だってありますよね。え、こんなの当たり前じゃんって。でも、攻撃に対する耐性は、個人差があります。あなたにとって傷つかないことも、他の人にとってはナイフなのです。その傷が一度に大きく、または小さな傷を何度も受け、自分を守るための行動がメンヘラなのです。それが小さい頃受けた傷なら、どうやって傷を癒せばいいのか分からない。

恋愛に没頭するのも、二次元にハマるのも、ゲームをやりすぎちゃうのも、自分が否定されないから。


メンヘラってどうしたら治る?

自分のダメなところを、受け入れてくれる人がいること。これに尽きると最近思います。
 
親が一番だけど、人によっては難しいかもしれない。
1日じゃ治らない。1年でも治らない。人はいろんな側面があります。その部分部分を「いいね〜〜!!」って受け入れてくれる人がいること。これがメンヘラをなおす第一歩だと思います。だから、いろんな場所・コミュニティに自分を置くこと。今これが難しければ、悩みサイトやお悩み相談ブログを見てみたら面白いかもしれない。私は今まで自分の考え方や性格にコンプレックスしかありませんでした。人付き合いも上手くないし、白黒で考え、いつも自分中心で考えている。だから人が寄ってこない。だから力をつけたいと思って、スキルを磨くことに精一杯になるけれど、心が全く満たされなかった。そして卑屈になればなるほど、人はそっと離れていく。
 
 
「あ、自分が嫌いな部分だけど、面白いって発想もあるんだ」そう思えたら、自分を少し好きになりませんか? そしたら毎日が少しずつ、楽しく、好きになると思います。



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rpvke.hatenablog.com

【忘備録】社会と学校の乖離について

大学のスクーリングに行ってきた。

先生は今まで様々な学校の教壇に立ってきて、様々な教育改革をしてきたってさ。


学校と社会の乖離があると言われるし、学校で習ったことはなに一つ役に立たなかったと思う社会人はたくさんいる。私もその一人だった。だけど私は「乖離はないのかも」と思い始めている。

学生時代に育てた「心」が社会人で役に立つ

とある本で、こんな記述があった。
rpvke.hatenablog.com

子どもは、将来的に必要となるもの、大人は、今すぐ必要としているものを学ぶ。


今日の受講内容から思い返すと、子どもは人としての思いやりや人から受け入れられる絶対的安心感を学び、社会生活においても周囲とやっていける心を育てており、大人はビジネスの世界で生き残るためのスキルやマインドセットを学ぶのでは。(この記事では、大人を労働者に限定する。)

だから、入社した直後に「学校で習ったこと全然役に立たないやん、、、、!」と思うのは至極当然じゃないかな〜と、最近納得した。

心を育てるのは、義務教育期間で良いやろ

ただ、子どもが学ぶ心は一旦中学生までと捉えて良いのでは。高校卒業はたまた大学までこの心を重点的に学ぶためには存在してないやろ、てか長すぎる。そこで義務教育期間は心を育てるとすると、高校大学の役割は何か。大学はアカデミックを極めるで良いとしよう。じゃあ高校は?宙ぶらりんじゃん? ここで"考えること"を学ぶことが良いのではないだろうか。例えば、自分がやって見たいことをやってみる、答えのない問いを解いてみる、議論してみる。ビジネススキルをつける。とか。

力が欲しい、と思うことについて

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「力が欲しい」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
と思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「でも、そんなに努力できてない」
  
 
 
  

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

とも思う。
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 

ゲームの世界は、いくつもの小さい敵と戦うからこそ、力がつく。
 
 
 

これを
 
 
 

おもしろいなあと思えたら、
  
 
 
 

めんどくさいなあと思いながらも、戦えたら
 
 
 
 
 
力は自然とつく。
ボスまでたどり着き、戦うことができる。
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


現実も同じで、
 
 
 
 
 
様々な問題をクリアしなきゃ、ではなく
 
力をつけなきゃ、ではなく
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


おもしろいなあ、とか
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


めんどくさいなあ、と思いながら生活していったら
 
 
 
 
 
 
 
 

力は自然とつくものなんだと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

これを知ることも、力をつけることの一つだと思う。
 
 
 
 

【読んだ】はじめての後輩指導

読んだもの

おすすめ度:★★★
読みやすさ:★★★★
サクッと辞書的に読むのがいいかと。

はじめての後輩指導はじめての後輩指導
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学んだことメモ

大人と子どもの教育の違い

① 自己概念が違う
 大人は自分な何者で、何が得意で、何がしたいのかなど明確になっている
② 経験が異なる
 経験の広さや深さが異なる。大人の場合は、自分の経験を学習に結びつけやすい。
③レディネスが異なる
 レディネスとは学習に対する準備状態のこと。大人のレディネスは年齢ではなく、役割、立場により規定される
④ 将来への見通し
 子どもは、将来的に必要となるもの、大人は、今すぐ必要としているものを学ぶ。
 
つまり大人は、自分で目標設定ができ、経験を生かしながら学ぶ。

 
 
社会人になって受けた研修を振り返ると、確かに異なりますね。
子どもは表面上に表れない、心に重点を、大人は表面上に表れやすいスキルやマインドセットを学ぶってことかな。
 
 

どう接するのかの基本方針を決める

これだけ最初に考えておいた方がよいのは、部下や後輩を育てる際の自分なりの構想です。

手取り足取り教えるだけが後輩指導ではありません。指示や報告をするという日常の仕事の中に、いかに教育的行動を織り込むか。それが指導方針を定めるポイントです。

恥ずかしい限りですが、経験は少ない私の方が先輩より立場が上という状況です。しかもチームの人数は数人。正直週1も顔を合わせたく無い方ですが、この方がいないとさらなるリソース不足になることは事実。それゆえ、先輩のアドバイスを参考にするのではなく、迎合していました。自分がリーダーである自覚をもち、譲れないところは譲らない姿勢でいたいと考えます。
前職では、調べて聞いたとしても結局自分で解決するしかない状況だったため、先輩に聞きづらく。また、全然聞いてねという割には、聞きづらそうな雰囲気MAXか席にいなかったため、最終的には相談ができなくなっていったんだな〜と感じました。
 
 

仕事の全体像を示してつながりを教える

「これは前から決まっている仕事だから、とにかくいわれたことをやって」などと言われれば、創意工夫をする余地も無いので、ただこなすだけになってしまいます。間違いにも気づかないでしょう。

第一は、仕事の全体像まで示し、仕事の目的を伝えることです。

第二のポイントは、本人にとっての意義や意味を理解させることです。

成果物の中身や時間を明確にしておくことが指示を与える三つ目のポイントです。

反省。「この作業お願いします。」と、経験が長いから分かっているとの前提で仕事を以来していました。そのため、依頼している仕事の全体像を伝えていなかったのは、私の反省ポイントです(とは言いつつ、社会人10年経つのに自分から聞かないのってどうよ、、、。笑)
 
 

読んだ背景

現在教職の勉強をしながら、教育系機関でアルバイト中です。が、経験長い方たちとのコミュニケーションが難しく、、、(社会人の基本ができていないタイプ)。自分より年上ですが、うまく職場を回せたらと思い手にとりました。

ないものねだりの私に、先輩が放った言葉

ないものねだり
  
 
 
  
 
 
 
 
私の悪癖だ。小さい頃から自分が持っていないものに憧れた。頭脳・身体能力・音楽的センス。想像の中では、私はなんでもできる子。でも、現実は違った。時折この悪癖が顔を出す。自分で選択した道なのに、不満ばかりが募り疲れが溜まっていく。最近は愚痴のオンパレードだ。
  
 
 
  
 
 
 
 
「自分で選択した道なのに、楽しめないんですよね。幸せになれると思ったのに。」
 
 
  
 
 
  
 
 
 
 
ふとした時、付き合いの長い先輩に言ってみた。
先輩は、一瞬黙った。

  
 
 
 
 
 
 



そしてこう言った。
 
 
 
 


「今」は、君がこれまで一生懸命選択してきた結果だよ。
そりゃあ、若さ故の過ちもあっただろう。
全てが今の君に繋がっているんだ、まずは自分を誇りに思いなさい。


そしてこう続けた。




そしてだね、
"いつか幸せになれるはず" って考えは「今」を生きていない証拠だよ。
存在しない人生のことを考えている。
 
今が幸せでも、情けなくても、自分の人生だよ。
全部愛してやんなよ。
幸せになりたいなら、まず今の自分を受け容れるんだ。

 
 
 
  
 
 
 





先輩の言葉に、はっとした。
小さい頃からそうだった。小学校の頃は中学校を、中学校の頃は高校を見据えて、準備をしてきた。恋愛は将来役に立つかわからないから後回し。キャーキャー言っている同級生たちは、何が楽しいのかわからなかった。私は絶対幸せになるんだからと思いながら、その時はいつも幸せじゃなかった。
 
 
 
 
もうないものねだりはやめよう、と思った。



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理論と実践両方を取れる人こそ、プロだと思った話。

「やっぱり実践で日々子供達を見ないと」という言葉をちらほら聞きます。

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でも現在教職の勉強をしていて、感じることは
「理論ってめっちゃ役立つんじゃね、、!?」
ということ。



今日教育心理学の教科書を読んでいて、コールバーグの道徳性発達理論を知りました。コールバーグは道徳判断に一定の普遍性があることを論証しようと試み、「1)罰 2)報酬 3)いい子 4)権威 5)社会的契約6 )倫理的原理発達段階」を想定しました。
詳しくは教育哲学で著名な苫野先生のブログで。↓
ittokutomano.blogspot.jp


例えば、喧嘩をしている子どもがおり、大人が介入してきた時に喧嘩をやめた状況を考えます。
そのやめた理由は「ケンカをダメだと分かりやめた」のではなく、「罰を受けるのが嫌でケンカをやめた(1)罰 )」「ケンカをやめることで褒められる(怒られなくなる)からケンカをやめた(2)報酬)」といった具合に道徳判断の発達によって異なるということです。大人が「ケンカはダメな理由」を伝えたからケンカをやめたと思っていても、受け取っていないことは発達に置いて当然ありえるというのです。完全大人の自己満足ですね。だからこそ、発達の段階が大人と子どもで違うことを認識して、子ども目線にたつ必要があることを学びました。



言われてみれば当たり前だし、自分の幼いころを思い出してみれば分かります。大体教師というのは、生徒のことを見ているようで全く見ていない。気持ちなんて理解しようとしなかったじゃないか、と昔を思い出せば分かりますよね。自分で無意識に考えていることも理論を読めば、腹落ちできます。




教師に限らず、周囲の社会人の中でも「かっこいいな」「プロだな」と思えるのは、理論で勉強し実践で理論を試すことを自然と繰り返している人なのはよくある話。そう思えるのは、理論というのは「結果を出す」状態に持っていくために先人たちの知識が凝縮されていることを、結果を出すことで体現しているからなのかも。自己満足ではなく、結果にこだわる大人でありたいと改めて思った夜でした。