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みっきまうすの長めのつぶやき

This is what I am. This is what you are.

指導してくれる上司がいること。幸せな日々。

転職する前は、新卒で入社した会社だったのもあり、上司がしこたまいい人だったと言うこともあり、いろんな面で指導された。褒めるが0.5割残りは変えた方がいいところの指摘だ。当たり前だけれど。こんなのフォーマットない方がおかしいだろうレベルのものまで、自分でフォーマット考えて作ったのに、見ずに否定された。空気感としては「これっぽっちのこと、なんでこいつ出来ないんだろう」と言った感じだ。ひたすら考えさせられた。全部。先輩の考えはまず聞けない。聞いても、答えを求めすぎると言われる。転職して、前とは比べものにならないほど楽な仕事をしている。教員の仕事はクリエイティブな部分もあるけれど、今私がやっているのは事務だ。やることが決まっている。前職で指摘されまくってメールを送るのも文面印刷して5回は見直さないと不安で送れず、そう言う時に限って打ち間違いがあって、先輩に指摘され、萎縮し、些細なことを気にしすぎて空回りの悪循環が続いていたのに、今の職場は周りが雑すぎて、逆に気にしすぎるじぶんが悪いみたいだ。こんなことはどうでもいい愚痴で、言いたいことはただ一つ。あの上司たちに短い間だけれど育ててくれて本当に感謝していると言うこと。今まで腹を割って話してくれる年上が少なかたじぶんにとっては、耳が痛い言葉を言われることに慣れておらず、気にしすぎて早めにダウンし、方向転換したのかもしれない。でも全部がじぶんのためを思って腹を割って言ってくれたことだった。それがとても嬉しかった。もちろん傷つくこともあったけれど。今の仕事は十分にやれているのだから、不安に思う必要も、変に悩む必要もない。だけど、前職がそれだったぶん、今苦しみ悩むに値しない仕事だけをやっていると、前に進んでいない感覚と、ああ自分は自分の人生を生きていて、幸せになる権利があるのに、なんでこうも自分をいじめないと気が済まないんだって思う。今教員を目指す選択をしたことに悔いはない。だけれどいざその選択をすると同時に捨ててしまう貴重な「指導をいただける機会」を捨てた自分は、誇りに思うと同時に重要な決断を誤ったのではないかと迷いへ誘う。そして皮肉なことに、指導してくれる人がいない時点で、開放感がない時点で、どこか、学校的な、目の前の人に評価されるにはどうしたらいいかを無意識に考えていたことに気づく。ああ、とってもいい機会だ。自分を育てるのは自分だし、目の前の上司ではなくて、目の前の出来そうなことや課題点に焦点を当てることを忘れかけていた。
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