猫先生の長めのつぶやき

This is what I am. This is what you are.

【忘備録】教育に興味をもった変遷

後々整理していく。 何かに情熱をもって取り組んでいる人にスポットライトをあてて紹介するWebマガジン、anotherlife。 全ての子供たちにとってより良い学習環境の提供を目指す、Teach For Japan( 以下、TFJ )の特集がされていた。 TFJで教師として現場に派遣されているフェローにこれまでと、教育に対する熱意をインタビューするという内容であり、3年以内には同じ場を目指している自分にとって情熱に共感する部分が多くあった。 そして、自分が現在マーケティングの世界にいながら、教育の世界を目指しているのか、気持ちを整理。

すなわち忘備録。

思うがままに書くYO

環境で生活が左右されることを知った小学生の頃

私は小学校は公立、中学受験して私立の中高一貫に通った。

小学校の友達はみんな大好きで、見た目はヤンキーぽくても困ったことがあれば親身になって助けてくれる子たちだった。 校区は住宅地で、市営の大きな団地と一戸建てが混在しているようなところだった。

小学校3,4年の頃、よく席が隣同士になる男の子がいた。 彼は1時間目には姿を見せない。 彼が来るのはお昼前だ。しかも校長先生と一緒に登校している。 しかも席に着くと、なにか異臭を漂わせていることが多かったし、子供ながらおかしいな?と思った。

とある日に親と話していると、隣の席の男の子の話になり、 彼の家庭環境が複雑で、兄弟が多数いるが親は夜帰ってこないし食事やお風呂が当たり前に入れる状況ではないということを知った。そもそもこういう状況な生徒は一人でないという衝撃の事実を知る。なんたって私の家族構成は、父親が大企業の出世コースをいくバリバリの会社員で、母は優しく小学校低学年の頃は帰ったらお菓子が置いてあるプロ専業主婦だ。友人も、家庭環境は悪くなかったため、家の中が片付いていて、言わなくてもご飯が出てきて、お風呂に入れて、夜は習い事に行ったり勉強をする環境があるというのは、当たり前だと思っていた 。だけど家庭環境によって、それは当たり前でない事実を知った。通っていた小学校は、なぜか一度も休校になることがなく(たとえ、周りの小学校が休校だったとしても!)、その理由は、先ほどのような生徒たちに最低1食の食事を学校側から確保させるためだったのだ。幼い私はこの話を聞いた時の衝撃というか怖い気持ちだった。確か。なんというか、私たち子供は無力で、大人に頼らないと生きていけないのに、その生きていく環境は選べないっていう現実を目の当たりにしたから。私は運良く、この家庭に生まれたのだと。

また、私立受験を志望することを友達にはなした。その子は教室で1番の成績の女の子で、一緒に受験してみよう!親に聞いてみようよ!ってなった。けどその子の厳しい家庭環境を知らずに友人の親に対して、友人から受験をしたいって旨を言わせてしまった。「無理だった~」って悲しそうに言ったその子の顔が忘れられず申し訳ない。

先生、嫌い

小学校の担任が反面教師の鏡ともいえる方で、ここで大人に対する信頼を失う。 先生は、親からの評価ばかり気にしていて私たちのことなんでみようとしていない感が半端なく伝わってきたし 他のクラスの先生は、クラス内のいじめに加担していたし、なんか大人ってクソだな。それが教える立場にたってて恥ずかしくないのかと思った。塾の先生だったらいいんだけどさ、勉強を教えるのが仕事だから。このときに将来の夢に教師が入る確率が0になった。

選ばなかった教師の道

ただ、中学3年から高校3年夏まで不登校になった。 このときに、いろいろ考えることがあって、自分の体調直してちゃんと自立できるようになったら、教師以外の職種で子供に自信をもたせてあげられる仕事がしたいなあとか考えるようになった。教師は目指していないが、何になればいいかわからない&不登校だったため勉強の取り戻しが必須だったため興味のある理工系分野を志望し、上京した。

偶然のTFAとの出会い

大学生になっても不登校の頃よりは体調は良くなったが、完璧ではなく、何より東京での生活&男子9割の大学生活で学校との行き帰りで精一杯だった。そして将来何になりたいのか悶々とする日々が続き、留学を志して毎日10時間TOEFLの勉強をしたりと色々試したが、いまいちピンとこなかった。悶々とする日々が続いたとき、偶然手に取った雑誌に、Teach For America (TFA)のことが書かれている記事を見つけた。 とっさに、「これだな」と思った。その時、社会に出て知識を身につけてから教育の世界に入りたいという思いが芽生えた。

就職先はベンチャー

就職活動では、教育分野は除いて、興味のあったIT分野し絞っていた。 社会をしらないままで、子供を育てる重要な役割になったとしても教えられることに限りがあるのではという思いがあったためだ。というか昔から先生は社会の荒波を越えた人であってほしかったな、そしたら、社会に出た時のことを考えて物事を教えてくれるのではないかという思いがあった。というか、可笑しいでしょう、教育の目的は学問知識を身につけるだけでなく、生き方を教えることだとおもうんですよ。学問知識だけでいいなら、塾や、いまの時代ならネット環境があればいいわけで。とか思い紆余曲折を隔てて、マーケティングの会社に就職することが決まった。

後悔した最後の夏休み

大学では、自分に自信をつけたくてという別の理由から、教育分野ではない活動をしていた。 しかし最後の夏休みに、Learning For AllというTFJの1事業を知り、応募。しかし、もともと行っていた活動を最後まで続けないのは嫌であるという頑固な性格が災いし、合格したものの辞退をする。この機会が、大学生活で子供、自分の将来と真正面から向き合える機会であったのに、、、と今になって後悔している。だって、会社に入社し仕事に没頭すれば、どんな子がいるのか、どんな考え方やスキルを社会で身につけておけばいいかっていう視点が手に入ったかもしれないのに。

今後

今の仕事を続けて会社内で1人前に早くなりたい。 そこで身につけたり、知ったことを子供たちに還元したいなあ。 知識ではなく、考える力を身につけさせる教師になりたい。

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