猫先生の長めのつぶやき

This is what I am. This is what you are.

【読んだ】教師におくる「指導」のいろいろ

読んだもの

すでに教師をしている方が教えてくださった本。
ただ授業をしているのではなく、子どもたちの将来へのきっかけを作る志の高い先生でした。そんな先生と働きたい、、、。

教師におくる「指導」のいろいろ
教師におくる「指導」のいろいろ家本 芳郎

高文研 1986-10
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学んだことメモ

子どもに共感する

子どもの行動は表面的に見れば道徳違反であるが、その行動をおこした心的要因がある。

子どもの受容

受容はまず、感情で受け入れること。例えば「学校に来るの、やだ」と言ったら「学校に行くの、嫌なのか」とか。これを繰り返し、子どもに信頼と親しみを感じさせることが受容の技術
全てを聞いたら指導の基盤ができ、自己決定へ導く。

子どもへ指示する

授業準備に「指示準備」は重要。例えば問いを投げかけた時は、答えが出てこない場合は何を言うか?その先まで考えておく。計画通りに行かないことが多いけれども。
集団での授業研究は教師としての力をつけるのにとても役立つ。

子どもを励ます

子どもが燃立つのは以下

  • 教師が率先して燃えて取り組み、やる気を示した時
  • 達成すべき目標がはっきりしている時
  • やった後の成果や、やった後に開ける新しい世界が見えてきたとき
  • 新しい未知の領域へ踏み込むとき
  • 自分で決めて活動の主体になったとき
  • 先生や友人に励まされ、褒められたとき
  • よきライバルを作り出したとき
  • 愛するものに認められたとき、褒められたとき

感想

指導技術が分かりやすかった

「励ます」「共感する」など、具体的なシチュエーションでの指導技術が書かれていて、とても分かりやすかったです。一つ一つ練習して、身につけたいと思いました。

文体がちょっと時代と合わないかも、、、。

ちょくちょく教師と子どもの関係が「上下関係」のように感じられる文章があって、私にとっては違和感でした。

キンコン西野のブログに禿同

キンコン西野のブログに禿同しかない。


「お金じゃない」と言うと聞こえはいいですが、テメエはそれで良くても、その裏でスタッフやスタッフが養っている家族の首を絞めているわけですから、そんな残酷な台詞は口が割けても言えませんが、作り手の99%の人達がこの台詞を美徳とし、口にします。

「日本の魅力を再発見」がコンセプトの同誌では、日本各地の伝統工芸品などを紹介しているのですが、「問題はそこじゃねえよ!」とインタビューでは吠えました。
皆、とっくに素晴らしいモノを産み出しているのですが、99%の作り手が冒されている病は、「素晴らしいモノさえ作っていれば…」という芸術幻想からくる育児放棄に他なりません。

もう、そろそろ辞めませんか?
学校の先生も、ちょっとだけ勉強しようよ。
今は、そういう時代じゃないってば。
届けないと、届かない時代です。


大多数の子どもが学者にならない事実がある。なのに、いつまで学校と社会は離れたままなんだろう。
子どもたちは学校を卒業した後、基本的に働きます。
ちなみに平成28年(2016年)11月分 就業者数は6452万人(※参考1)。一方で平成27年3月31日現在の研究関係従業者数は、107万9300人(※参考2)。一概に比べられないにしても、就労者数と研究関係従事者数は100倍以上違います。なのに学校では就労時に必要なスキルを教えられず(と言うか、イベントで頑張って身につけてねスタンスなのかな)、自分のカードを理解せず高校大学を卒業してフリーターもありうる状況。キンコン西野さんみたいな、地道に努力し、考えることを怠らなかった人が教室に一回でも来たら、子どもたちの世界はがらっと変わるやろうな〜。


一部の子どもをかわいそうとする風潮について思うこと

このCMを見てどう思いましたか?

http://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/child_support/www.youtube.com
これは日本財団の「日本財団子どもサポートプロジェクト」のCMです。
2016年11月ごろから放映されています。

そもそもCMの目的は以下のようなものでしょうか、、。

  • 日本財団の「日本財団子どもサポートプロジェクト」の周知
  • 寄付の依頼
  • 2017,2018就職活動生に対するアピール

私はこのCMを見て違和感を覚えました。映像の切り口として「子どもたち、かわいそうでしょう?」色強く、対象の子どもたちの気持ちを考えられていないです。


友達少ない人を「かわいそう」って思うかよ

「かわいそう」の意味をggったところ。

みじめな状である人に対して、同情せずにはいられない状態
- Googleで「かわいそう 意味」の検索結果より


友達が少ない人に対して

「友達少ないなんてかわいそう、、、私が友達作りに協力してあげるよ」

結婚しない人に対して

「売れ残りなんてかわいそう、、、いい人紹介してあげるわよ」


これらは、当の本人がどう思っているかを無視してます。一人の時間が大事で大事な一人いればいい人が「友達が少ない自分はかわいそう」と思うでしょうか。
自分の趣味の世界があって結婚しない人が「自分は売れ残りでかわいそう」と思うでしょうか。さらに「こんな自分を助けて〜〜〜(のび太風に)」と思うでしょうか。

そしてCMが富裕層ビジネスになりそうな気がしてならない。でも、本来ならばそんなビジネスと言う視点にはならないレベルの当たり前の人権の話なんじゃないの?CMを見た当事者(子どもや周囲の大人たち)はむしろ傷つき、自信をなくすのではないか。生まれた環境(家族構成、地域など)によって自分が求めずとも「かわいそう」の目で見られ、「自分はかわいそうな人間なんだ」と。見世物感。


そもそも同情で救えるほど、問題は簡単じゃないのでは?

我が国の子どもの貧困率(※)は増加傾向にあり、6 人に 1 人の子どもが貧困状態にあるといわれています。また、子どもの貧困がもたらす経済的影響は、昨年 12 月に発表した日本財団の調査によれば、一学年あたり2.9兆円と推計されており、まさに国民的課題となっています。
- http://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/child_support/img/1.pdf より

お金には詳しくない私ですが、大きな問題であることはわかります(←雑)


寄付を募るより、仲間を増やそうよ!

自分の中の課題意識を大きくし、それぞれの分野で解決の手立てがないかを探る意識を育て、仲間を増やした方がいいんじゃないでしょうか。(妄想レベルだけど、企業のTOP層に問題意識があるような。)社会問題に対する一つの関わり方だし、寄付を否定するわけではありません。ただ、寄付だけで問題が解決するかは疑問だし「業界の縦割り」では問題は解決しない。子どもは一つの世界で育てられるわけじゃ無いから。
CMも、かわいそう・寄付お願いスタンスから、社会で子どもを育てようよ!って言うポジティブなメッセージだとどうだろうか?
 

立ち止まることってとっても大事。悪ではない。

立ち止まることは悪なのか?

20代です。所属するコミュニティの影響なのか「進めイケイケドンドン!成長!仕事!万歳!!!」みたいな人が結構いる。私もそのひとりだったし「成長しなければ」「人より秀でていないと」と思ってました。まあ仕事だし会社によっては当たり前かも。


立ち止まるからこそ見えたこと

自分と向き合わずして、ほんとの幸せはなし

でも立ち止まってわかったのは、今まで働いてきたのは「自分のご飯代が稼げなくなったら嫌だ」とか「必要ない人間と思われなくない」とかいう、自分のマイナスを埋める作業であって、自分本当の意味で納得した結果ではなかったんだよね。 「成長しなければ」の根底にあるのは、不安や恐れ。他人に流された、という感じだろうか。そして、家族がいること、話を聞いてくれる友人がいること、ご飯が食べられること、自分が興味のある分野、自分の気持ち、を見ているフリをして結局見ていなかったんだと感じました。「やっていくうちに、やりたいことが見つかるよ」派が多数かもしれないけれど、これじゃあ、私は不安で死んじゃうううプルプル。

成長 or 立ち止まる、優劣はない

んですよね。やっと気づいた感じだ。じゃなくて大事なのは「自分で自分を幸せにする」意思に基づいた「自分の選択」と「選択後、どう過ごしたか?」にかかってる。成長ウェーイで中身や感情が空っぽの人もいれば、プー太郎やってもちゃんと働いて現在幸せな人はいる。今どうしようもなく辛くて、理屈では「終わりじゃない」と思っていても「終わり」と思ってしまう人もいる。でも一瞬で人生が決まるわけじゃなくて、5年10年っていう長いスパンで人生は決まっていくのだから、不安になりすぎず、余裕を持ち、自分に自信を持って2017年も過ごしていけたら嬉しいなと思う限りです。

全員にとって1番の居場所はない

自分の1番の居場所を見つければいいんです。
 
 

人との関係づくりについての反省

知らないうちに、人との関係づくりに手を抜いていたと感じた。(クリスマスの日にこんな事を書くのもあれだけれど)
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気づいたきっかけは、いつか

薄々気づいてはいたけれど、決定的に気づいたのは子どもたちと接している時だった。私は大人だが、子どを子どもとして認識しないようにしているつもりだった。とある子どもは自分の分が悪くなると、目の前のことを投げ出す。この反応が面倒で子どもに従っていた自分がいた。周囲から「子どものわがままに従う必要はない。」と言われるまで、「ま、いいや」で適当に子どもと接していることに気づいたんだった。

気づくまで、どうしていたか

いや〜〜〜モヤっとする事、面倒な事を、ことごとくいいタイミングで言葉にしていなかったなああああああと。あと、最近冗談とか言えなくなるし、(コミュ障なってきた)一緒に過ごしていても、先の未来への不安にかられてその場を楽しめなかったり。だからFB上だけの知り合いは増えるけどリアルに遊んだりする友達は減っていったりしてたんじゃないかなあ〜〜と。逆に変な異性からは誘われることが多く、これには断ることができず、自分から楽しもうともせずに過ごしていることが多々あった。

人との関係づくりができる方だと思っていた

義理人情が深い「the 地元」的なところで育っていたし、確かに中学校の頃までは「人間関係がうまくいかなくてもお互い話し合えば分かり合える!!」とか言う正論を持って物事に取り組んでいた(それゆえ怒られたこともあったけれど)。中学最後から高校にかけて私は変わってしまっていたらしい。高校生の頃、親や先生やクラスメイトに色々ついていけなくなった時がきっかけなのか、高校生の時に自分の中で全てが変わった気がする。今の私自身、そこに引っ張られすぎている気もする。それとも上京して「人ってこんなに冷たいのか」と気づき、自分も東京の人になってしまったのか。

10年近く経ってこの事に気づいたけど、人生とか自分自身の事でその場その場で気づく事が難しい。そんなもんなのかな。そんなもんだとも思うけれど、最近友人から言われる事がある。「ずっと無理してきたんじゃない?」。それもあるかもしれない。

【やってみた】お正月に使えそう!AmazonでDVDレンタルしてみた。

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※ "やってみた" シリーズとは↓↓
rpvke.hatenablog.com

最近元気がなくて、人に会いたいわけじゃないけど、でも元気になりたくて、だったので、映画を見ようとしたんです。AmazonPrime会員なので。今回見たのは、Prime会員特典外の映画。

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マイインターンは、泣けました。老若男女どの世代でも共感できるシーンが多く、特典映像にあるように「IT技術に頼りすぎているからこそ、人と向き合うことの大切さ」を改めて感じました。
最近ネットで知り合って仲が深まらないまま、なことが多かったなあ。

「数学は役に立たない」と思うのは当たり前じゃないのかなぁ。

数学って何の役にたつの??

ずーーーーーーーーーーいぶん前に、鹿児島県知事が「三角関数って役に立たなくね?」って言って炎上しました。
matome.naver.jp

確かに仕事によっては、三角関数は役に立たないと思わざるを得ない、、、。地歴公民や英語は日常生活で登場するから役に立ちそう感はあるけれど、三角関数に限らず、微分積分や空間ベクトル・数列など、日常の生活で使うことは、まずない。むしろ使ってたら変態。「その単元のみでは、どこで役にたつか分からない」と思ってしまう気持ちはある。

そうして生徒は大きく2パターンに分かれる

  1. とりあえず思考停止し受験のための「パズル」として数学を勉強する生徒
  2. 役に立つか分からない授業に対して疑問を抱き、だんだんと授業への理解が遅れ、数学を捨てる生徒

そして仕事をしていても数学を使わず「学校の勉強は仕事で使わないよね〜」という話になる。

そもそも数学って何のために勉強するの?

文科省による「高等学校学習指導要領解説」には、次のように書かれています。

数学的活動を通して,数学における基本的な概念や原理・法則の体系的な理解を深め,事象を数学的に考察し表現する能力を高め,創造性の基礎を培うとともに,数学のよさを認識し,それらを積極的に活用して数学的論拠に基づいて判断する態度を育てる。ー
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2012/06/06/1282000_5.pdf

わたし的意訳「数字を使って、物事をみんなにわかる表現が出来て、物事の判断もできる子になってほしいな!」。つまり、文科省だって「数学を将来に役立ててほしい」と考えているんだよね。、、、、でもさ、そんな授業じゃなかった気がする。「こんな子に育ってほしい」願いと「現場」が離れている感がするよ。

なぜ役に立たないと思ってしまうのか

考え方としての数学と、ツールとしての数学を混ぜているからでは

目の前にある事象をカテゴリ化し、それぞれに数字の意味合いをつける、、、どんな仕事でも必要とする「考え方」としての数学。研究や膨大にあるサンプルの分析のために、式や概念を使う「ツール」としての数学があると思う。だから高校数学の必修は数1(だった気がする)だし。これを、文理選択とかいう意味のわからん選択によって、理系を選択してしまったばかりに将来いつ役立つかもわからない数学の世界を体験する。そしてそれとなく授業と研究をこなして会社に入っても結局役に立たない。役だった数学を使っているのは研究者になった友達だけ、みたいな末路。

教え方がそもそも解法ありき

数学に限らずの話かも。わたしが学生だった頃、数学の授業の流れは①問題を読む②問題の解法をノートに書く③例題で同様の問題を解く の流れだった。
でも、考え方としての数学を身につけるならば全くもって違う。①解法を考える②解法の表現の仕方を考える③解答を書く。これじゃないのかな。だけど現実的には前者なので、パズルとしてしか問題を認識せず、大人になっても同じ問題に出会わないから、役に立たないと思ってしまうのでは。

言いたいこと

数学詰め込みすぎではないだろか、、、。

決して数学をディスっているわけではありません。

本当これ大事。高度な数学を使っている人たちのおかげで便利な生活を送れる。
でもその人たちに入らない人にとっての数学とは何かを考えてみたかったんです。
殴り書き終わり。ふふ。