猫先生の長めのつぶやき

This is what I am. This is what you are.

一部の子どもをかわいそうとする風潮について思うこと

このCMを見てどう思いましたか?

http://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/child_support/www.youtube.com
これは日本財団の「日本財団子どもサポートプロジェクト」のCMです。
2016年11月ごろから放映されています。

そもそもCMの目的は以下のようなものでしょうか、、。

  • 日本財団の「日本財団子どもサポートプロジェクト」の周知
  • 寄付の依頼
  • 2017,2018就職活動生に対するアピール

私はこのCMを見て違和感を覚えました。映像の切り口として「子どもたち、かわいそうでしょう?」色強く、対象の子どもたちの気持ちを考えられていないです。


友達少ない人を「かわいそう」って思うかよ

「かわいそう」の意味をggったところ。

みじめな状である人に対して、同情せずにはいられない状態
- Googleで「かわいそう 意味」の検索結果より


友達が少ない人に対して

「友達少ないなんてかわいそう、、、私が友達作りに協力してあげるよ」

結婚しない人に対して

「売れ残りなんてかわいそう、、、いい人紹介してあげるわよ」


これらは、当の本人がどう思っているかを無視してます。一人の時間が大事で大事な一人いればいい人が「友達が少ない自分はかわいそう」と思うでしょうか。
自分の趣味の世界があって結婚しない人が「自分は売れ残りでかわいそう」と思うでしょうか。さらに「こんな自分を助けて〜〜〜(のび太風に)」と思うでしょうか。

そしてCMが富裕層ビジネスになりそうな気がしてならない。でも、本来ならばそんなビジネスと言う視点にはならないレベルの当たり前の人権の話なんじゃないの?CMを見た当事者(子どもや周囲の大人たち)はむしろ傷つき、自信をなくすのではないか。生まれた環境(家族構成、地域など)によって自分が求めずとも「かわいそう」の目で見られ、「自分はかわいそうな人間なんだ」と。見世物感。


そもそも同情で救えるほど、問題は簡単じゃないのでは?

我が国の子どもの貧困率(※)は増加傾向にあり、6 人に 1 人の子どもが貧困状態にあるといわれています。また、子どもの貧困がもたらす経済的影響は、昨年 12 月に発表した日本財団の調査によれば、一学年あたり2.9兆円と推計されており、まさに国民的課題となっています。
- http://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/child_support/img/1.pdf より

お金には詳しくない私ですが、大きな問題であることはわかります(←雑)


寄付を募るより、仲間を増やそうよ!

自分の中の課題意識を大きくし、それぞれの分野で解決の手立てがないかを探る意識を育て、仲間を増やした方がいいんじゃないでしょうか。(妄想レベルだけど、企業のTOP層に問題意識があるような。)社会問題に対する一つの関わり方だし、寄付を否定するわけではありません。ただ、寄付だけで問題が解決するかは疑問だし「業界の縦割り」では問題は解決しない。子どもは一つの世界で育てられるわけじゃ無いから。
CMも、かわいそう・寄付お願いスタンスから、社会で子どもを育てようよ!って言うポジティブなメッセージだとどうだろうか?
 

立ち止まることってとっても大事。悪ではない。

立ち止まることは悪なのか?

20代です。所属するコミュニティの影響なのか「進めイケイケドンドン!成長!仕事!万歳!!!」みたいな人が結構いる。私もそのひとりだったし「成長しなければ」「人より秀でていないと」と思ってました。まあ仕事だし会社によっては当たり前かも。


立ち止まるからこそ見えたこと

自分と向き合わずして、ほんとの幸せはなし

でも立ち止まってわかったのは、今まで働いてきたのは「自分のご飯代が稼げなくなったら嫌だ」とか「必要ない人間と思われなくない」とかいう、自分のマイナスを埋める作業であって、自分本当の意味で納得した結果ではなかったんだよね。 「成長しなければ」の根底にあるのは、不安や恐れ。他人に流された、という感じだろうか。そして、家族がいること、話を聞いてくれる友人がいること、ご飯が食べられること、自分が興味のある分野、自分の気持ち、を見ているフリをして結局見ていなかったんだと感じました。「やっていくうちに、やりたいことが見つかるよ」派が多数かもしれないけれど、これじゃあ、私は不安で死んじゃうううプルプル。

成長 or 立ち止まる、優劣はない

んですよね。やっと気づいた感じだ。じゃなくて大事なのは「自分で自分を幸せにする」意思に基づいた「自分の選択」と「選択後、どう過ごしたか?」にかかってる。成長ウェーイで中身や感情が空っぽの人もいれば、プー太郎やってもちゃんと働いて現在幸せな人はいる。今どうしようもなく辛くて、理屈では「終わりじゃない」と思っていても「終わり」と思ってしまう人もいる。でも一瞬で人生が決まるわけじゃなくて、5年10年っていう長いスパンで人生は決まっていくのだから、不安になりすぎず、余裕を持ち、自分に自信を持って2017年も過ごしていけたら嬉しいなと思う限りです。

全員にとって1番の居場所はない

自分の1番の居場所を見つければいいんです。
 
 

人との関係づくりについての反省

知らないうちに、人との関係づくりに手を抜いていたと感じた。(クリスマスの日にこんな事を書くのもあれだけれど)
f:id:rpvke:20161225181941j:plain

気づいたきっかけは、いつか

薄々気づいてはいたけれど、決定的に気づいたのは子どもたちと接している時だった。私は大人だが、子どを子どもとして認識しないようにしているつもりだった。とある子どもは自分の分が悪くなると、目の前のことを投げ出す。この反応が面倒で子どもに従っていた自分がいた。周囲から「子どものわがままに従う必要はない。」と言われるまで、「ま、いいや」で適当に子どもと接していることに気づいたんだった。

気づくまで、どうしていたか

いや〜〜〜モヤっとする事、面倒な事を、ことごとくいいタイミングで言葉にしていなかったなああああああと。あと、最近冗談とか言えなくなるし、(コミュ障なってきた)一緒に過ごしていても、先の未来への不安にかられてその場を楽しめなかったり。だからFB上だけの知り合いは増えるけどリアルに遊んだりする友達は減っていったりしてたんじゃないかなあ〜〜と。逆に変な異性からは誘われることが多く、これには断ることができず、自分から楽しもうともせずに過ごしていることが多々あった。

人との関係づくりができる方だと思っていた

義理人情が深い「the 地元」的なところで育っていたし、確かに中学校の頃までは「人間関係がうまくいかなくてもお互い話し合えば分かり合える!!」とか言う正論を持って物事に取り組んでいた(それゆえ怒られたこともあったけれど)。中学最後から高校にかけて私は変わってしまっていたらしい。高校生の頃、親や先生やクラスメイトに色々ついていけなくなった時がきっかけなのか、高校生の時に自分の中で全てが変わった気がする。今の私自身、そこに引っ張られすぎている気もする。それとも上京して「人ってこんなに冷たいのか」と気づき、自分も東京の人になってしまったのか。

10年近く経ってこの事に気づいたけど、人生とか自分自身の事でその場その場で気づく事が難しい。そんなもんなのかな。そんなもんだとも思うけれど、最近友人から言われる事がある。「ずっと無理してきたんじゃない?」。それもあるかもしれない。

【やってみた】お正月に使えそう!AmazonでDVDレンタルしてみた。

やってみたこと

Amazonビデオでレンタル

※ "やってみた" シリーズとは↓↓
rpvke.hatenablog.com

最近元気がなくて、人に会いたいわけじゃないけど、でも元気になりたくて、だったので、映画を見ようとしたんです。AmazonPrime会員なので。今回見たのは、Prime会員特典外の映画。

マイ・インターン [DVD]マイ・インターン [DVD]

ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント 2016-08-10
売り上げランキング : 52

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


Amazonビデオをおすすめしたい人

  • Amazonアカウントを持っている人
    • 支払いがワンタッチで楽。
  • 年末年始予定がない人
  • お正月を「寝正月」にはしたくない人
  • 予定がすぐに変わる人
    • 一度レンタルしてから1ヶ月間いつでも視聴開始できます。
  • 完全OFFりたい人

感想

今回は、前からずっと見たかった「マイインターン」を借りました。レンタルの場合、299円(新作・準新作は399円)で1ヶ月見放題!(ただし1回見始めると、3日間でレンタルは完了します。笑)DVDレンタル屋さんで借りれば「結局見れなかった!」といったショックや「○日に返さないと!」といったプレッシャーもありません。 完全OFFでもOKと言うことで、おすすめしたい人に「完全OFFりたい人」を入れました。笑

マイインターンは、泣けました。老若男女どの世代でも共感できるシーンが多く、特典映像にあるように「IT技術に頼りすぎているからこそ、人と向き合うことの大切さ」を改めて感じました。
最近ネットで知り合って仲が深まらないまま、なことが多かったなあ。

「数学は役に立たない」と思うのは当たり前じゃないのかなぁ。

数学って何の役にたつの??

ずーーーーーーーーーーいぶん前に、鹿児島県知事が「三角関数って役に立たなくね?」って言って炎上しました。
matome.naver.jp

確かに仕事によっては、三角関数は役に立たないと思わざるを得ない、、、。地歴公民や英語は日常生活で登場するから役に立ちそう感はあるけれど、三角関数に限らず、微分積分や空間ベクトル・数列など、日常の生活で使うことは、まずない。むしろ使ってたら変態。「その単元のみでは、どこで役にたつか分からない」と思ってしまう気持ちはある。

そうして生徒は大きく2パターンに分かれる

  1. とりあえず思考停止し受験のための「パズル」として数学を勉強する生徒
  2. 役に立つか分からない授業に対して疑問を抱き、だんだんと授業への理解が遅れ、数学を捨てる生徒

そして仕事をしていても数学を使わず「学校の勉強は仕事で使わないよね〜」という話になる。

そもそも数学って何のために勉強するの?

文科省による「高等学校学習指導要領解説」には、次のように書かれています。

数学的活動を通して,数学における基本的な概念や原理・法則の体系的な理解を深め,事象を数学的に考察し表現する能力を高め,創造性の基礎を培うとともに,数学のよさを認識し,それらを積極的に活用して数学的論拠に基づいて判断する態度を育てる。ー
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2012/06/06/1282000_5.pdf

わたし的意訳「数字を使って、物事をみんなにわかる表現が出来て、物事の判断もできる子になってほしいな!」。つまり、文科省だって「数学を将来に役立ててほしい」と考えているんだよね。、、、、でもさ、そんな授業じゃなかった気がする。「こんな子に育ってほしい」願いと「現場」が離れている感がするよ。

なぜ役に立たないと思ってしまうのか

考え方としての数学と、ツールとしての数学を混ぜているからでは

目の前にある事象をカテゴリ化し、それぞれに数字の意味合いをつける、、、どんな仕事でも必要とする「考え方」としての数学。研究や膨大にあるサンプルの分析のために、式や概念を使う「ツール」としての数学があると思う。だから高校数学の必修は数1(だった気がする)だし。これを、文理選択とかいう意味のわからん選択によって、理系を選択してしまったばかりに将来いつ役立つかもわからない数学の世界を体験する。そしてそれとなく授業と研究をこなして会社に入っても結局役に立たない。役だった数学を使っているのは研究者になった友達だけ、みたいな末路。

教え方がそもそも解法ありき

数学に限らずの話かも。わたしが学生だった頃、数学の授業の流れは①問題を読む②問題の解法をノートに書く③例題で同様の問題を解く の流れだった。
でも、考え方としての数学を身につけるならば全くもって違う。①解法を考える②解法の表現の仕方を考える③解答を書く。これじゃないのかな。だけど現実的には前者なので、パズルとしてしか問題を認識せず、大人になっても同じ問題に出会わないから、役に立たないと思ってしまうのでは。

言いたいこと

数学詰め込みすぎではないだろか、、、。

決して数学をディスっているわけではありません。

本当これ大事。高度な数学を使っている人たちのおかげで便利な生活を送れる。
でもその人たちに入らない人にとっての数学とは何かを考えてみたかったんです。
殴り書き終わり。ふふ。

【忘備録】次期学習指導要領〜を読んで)

次期学習指導要領等に向けたこれまでの審議のまとめ、数学部分だけ読んだ

教員志望なので読みました。
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2016/09/09/1377021_1_4.pdf

この数学的に問題解決する過程は、別添4‐3に示したとおり、日常生活や社会の事象を数理的に捉え、数学的に表現・処理し、問題を解決し、解決過程を振り返り得られた結果の意味を考察する、という問題解決の過程と、数学の事象について統合的・発展的に捉えて新たな問題を設定し、数学的に処理し、問題を解決し、解決過程を振り返って概念を形成したり体系化したりする、という問題解決の過程の二つのサイクルが相互にかかわり合って展開する。その際、これらの各場面で言語活動を充実し、それぞれの過程を振り返り、評価・改善することができるようにする。また、これらの過程については、自立的に、時に協働的に行い、それぞれに主体的に取り組めるようにすることが大切である。

気になったのが、「日常生活や社会の事象を数理的に捉え」の部分。小中レベルの数学なら納得できるけれど、日常生活をする分には高校数学は必要ない。だから、高校数学って、どう結びつけたらいいのやら、、、、。「特定の分野のこの部分で使う」くらいにしか言えないんじゃないか、、、といまは考えています。なんかよくわからんアウトプットだけれど、「社会の事象を数理的に捉え、数学的に表現・処理し、問題を解決し、解決過程を振り返り得られた結果の意味を考察する」には、どんな数学の時間だったらいいのだろう?と思ってアイディアを書いておきます。ガバガバ。

メディアを立ち上げる(個人 or グループ)

教育者の方々がおっしゃっているけれども、、、、。はてブのようなブログサイトを使うのではなく、ワードプレスとかで。

やること

  • グループで役割を決める
  • Google AnalyticsPDCAを回し、PV数向上やリピーター数向上を目指す

期待できる効果

  • 達成したい目標のためには、どの数字を読めばいいのか or どんな計算式を使えばいいのか、を考えることが必要だと生徒が理解できる
  • 記事のカテゴリ化に伴って、数学Ⅰ「集合と命題」の生徒の理解が深まる

予想される課題

  • 事前に生徒が「メディアを立ち上げたい」と思ってくれるか、思わせることができるか

PCでアート作品を作る

メディアアートでは微分積分やベクトル、大学数学を使う、と聞いたことがあるので。

思ったこと

でも、こんな授業ってできるのかな。今時の授業ってどんなんだろう。
官庁のサイトはそろそろ記事がシェアされた時のOGP画像を設定するとか考えてもいいと思う、、、、もったいない、、、、。
というか、高校数学やりながらディベート等の授業があれば因数分解の訓練によって思考が洗練されることを実感できるのでは、、、。数学の学問だけだと、考えさせる授業は難しい。

感動した。デザインの解剖展で、最先端のキャリア教育を見ました。

デザインの解剖展に行ってきました

こちらの「デザインの解剖展」に行ってきました。
www.2121designsight.jp

デザインの解剖展とは

私たちの日々の生活にあたり前の存在として溶け込んでいる数々の製品には、素材や味覚、パッケージなど、製品が手に届くまでのあらゆる段階で多様な工夫が凝らされています。それらを「デザインの視点」で解剖し、各製品の成り立ちを徹底して検証するのが「デザインの解剖」です。 -HPより

ミッドタウンの敷地内にある、21_21 DESIGN SIGHTで開催中の展覧会です。グラフィックデザイナーの佐藤卓さんが、展覧会ディレクターを担当されています。

「デザインの解剖展」の何に感動したのか

日常にある商品を使った切り口

今回主に解剖された商品は、株式会社明治が製造している以下の商品でした。

所得関係なしに、全ての老若男女買ったことがある身近な商品ラインナップ。しかし、普段は商品が出来るまでの過程や、何故この見た目なのか?は気にしないからこそ多くの人が興味を引いたと思います。

解剖の細かさ

解剖 という言葉を辞書で検索すると

[名](スル)
1 生物体を切り開いて、内部の構造、あるいは病変・死因なども観察すること。腑分 (ふわ) け。解体。
2 物事を細かく分析し、その因果関係などを明確にすること。「事件を―する」「心理―」ー デジタル大辞泉 より

この言葉通り、展示は商品ごとに細かくまとめられています。

  • 商品
    • パッケージ(例:外パッケージ、内パッケージ)
      • 商品名
      • ロゴ
      • 問い合わせ先
      • 成分表 etc
  • 中身(例」アイス自体・きのこの山自体)
      • 舌触り etc

例えば「ミルクチョコレートパッケージには問い合わせの電話番号・住所が書いてあるが、スーパーカップパッケージには電話番号のみ。これはアイスを返品することは滅多にないとの理由から不要な情報としての住所は書いていません。」という事が書かれていました。個人的には、めちゃくちゃスミまで解剖している事、そしてスミまで消費者の思想が考えられているパッケージの設計に感動しました。

「デザイン教育」が高校生のキャリア教育の参考になる!

デザイン教育とは

展示がありました。
f:id:rpvke:20161204222235j:plain
注目したいのが、「デザインの対象とする商品の裏側や関係性について多くの学びや気づきを得られるように促しました。」の部分。

何故高校生のキャリア教育の参考になったのか

商品が出来るまでに、多くの分野が関わることを体感出来るから

解剖の細かさ に書いてあるように、細かく分析する分商品に関わる分野を知る事ができます。例えば、、
●チョコレート市場の説明
f:id:rpvke:20161204223458j:plain

きのこの山のWeb解析
(「きのこの山たけのこの里」ウェブサイトの、各ページの品詞の使用頻度と繋がりの割合を示している。)
f:id:rpvke:20161204223541j:plain

●工場で印刷されたブルガリアヨーグルトのラベル
f:id:rpvke:20161204223621j:plain

ヨーグルトの味について、有機化学の観点から分子構造モデルの展示もありました。


これらは商品の裏側や関係性の”事実”だけ知ることができます。そのため、将来の目標について、「何がしたい(what)」だけではなく「どんな方法・分野で(How)」の気づきを得やすいのではと考えます。キャリア教育の内容で伺うことが多いのは「年上の先輩と話す」事であり、これはとても有意義だと思います。ただ一方で、”話す内容が先輩個々の人生に基づいた主観を含む”ため、生徒本人が持つ興味や関心に重きを置きづらいのでは、と想像してしまうのです。


もし授業を企画するとしたら

デザインの解剖を実際にやってみたい。武蔵美のデザイン教育の講義に参加できないかな。非常に参加したい。