忙しすぎるのも辛いけど、暇すぎるのはもっと辛い
ここ数日、暇な日々が続いている。
今までは時間が欲しいと思っていた
時間ができると嬉しかった
時間がありすぎると、忙しいの辛さよりも、辛いんじゃないか
自分の趣味がある人はいいが、 これといった好きなものがない人は 自分が「いらないよ」と言われているように思えたり 自分なんて、と卑屈なったり しやすいんじゃないか。
忙しいのも辛いけど 暇すぎるのもつらくて そこには 比較できない2つの「辛い」があるんじゃないか
だから ブラックな仕事で忙しい人も 引きこもって暇すぎる人も お互いをあーだこーだ言うんじゃなくて 自分の心地いい忙しさを模索するのが 1番幸せに繋がるんじゃないかなぁ
思いやりよりも、自分を大切にすることを教えたほうがよい
相手を思いやろう
学校で先生がよく言いそうな言葉Top10に入ってそうな言葉だ。具体的な情景は思い出せないけれど、ホームルームとかでよく言われてたなと思う。
なぜ相手を思いやることが大切なのか?
相手を思いろうという言葉の中には「自分よりも他人を優先しなさい」といった裏メッセージを感じる。あなたは我慢しなさい、と。自分よりも他人を優先することは、組織のトップの命令に従うことにつながる。それはきっと今の先進国としての日本を作り上げてくれた昭和の時代にとても大切な価値観だと思う。自分よりも他人を優先することで、会社が回る。会社が回ることで、商品が増える。商品が増えることで、消費が増える。消費が増えることで、会社の売り上げが伸びる。会社の売り上げが伸びると、給料が増える。あとね、1クラス40人をまとめ上げるのには、自己犠牲が入った方がまとめやすいのかな、そういう考えの人もいそう。
学校は相手よりも自分を大切にする大切さを
自分を大切にできない人間が、他者を思いやれるわけがない。この場合の他者を思いやるというのは、自己犠牲と同時にその他者から雑に扱われる事につながる。これからの時代、言われた事をやるだけの仕事はなくなる。自分で仕事を作り、他者に価値を感じてもらう事でお金を稼ぐスタイルが主流になる。つまり成熟社会に置かれている生徒の状況は、一昔前と異なるのだ。自分を大切にできない奴は、他者のやりたい事に巻き込まれ、しかも全員が人格者で大切に扱ってくれるわけでもないのだから、使いっ走りで終わる事だって以前より増すだろう。ここまで書いたけど、単純に、こんなにいろんなチャンスに恵まれた時代に生まれてきたのに自分を蔑ろにするなんて、悲しいじゃないか。
ここまで書いてきたが、大切な事ほど言葉にするのは難しいね。
「上」に行きたいわけじゃないけれど
漠然とした不安があった。
大きな試験(とは言いつつ、5年前の倍率の半分まで落ちてまった)に合格し、ホッとするのもつかの間。季節の変わり目で、モヤモヤし、
惹かれたところはこの二つ
30代になると、小さな小さな積み重ねの差がもう取り返しのつかないくらいの差になって、それが実績に結びつき、結果がFacebookで見え始めるんだよね。
1.01の法則。こつこつ努力すればやがて大きな力になります。
0.99の法則。逆に、少しずつさぼれば、やがて力がなくなります。
これからはじめてみようと思う
毎日1冊本を読むこと。ざっと流し読みになり、読みたい本はじっくり読むことにする。
面倒くさがりなので、最初は週に4冊読めれば十分。
以上。
いつも不満を言う人はきっとこう。
ある女性の話だ。
忙しい時は「早く楽になりたい」と願い
楽な時は「こんな事でいいんだろうか」不安に思う
辛いときは「ああなぜこんなに不幸なのか」と呪い
楽しい時は「こんな事でいいんだろうか/ああ後で宿題しなきゃ」と不幸になりたがる
思いがけない事を言われると「あなたに何がわかるの?」と内心怒り距離を置く
何も言われないと「何で分かってくれないの」と不満が募り距離を置く
勉強する時は
集中できない時は「時間があるから集中できない」と思い
忙しくなると「時間がないから勉強できない」と後回しにする
恋人が優しいと「興味がなくなった」と別れを告げ
好きな人が振り向いてくれないと「誰も私に興味なんかない」と思う
仕事で怒られると「フザケンナ」と激怒し
仕事で何も指摘されないと「見放されてる?」と不安になる
その女性は友達から言われた。 「あなたはこの先どんな時でも不安になる人だ」と。 「自分を大事にしなさい」とも言った。 言われた時は、分かったようなわからなかったような不思議な気持ちだったそう。 彼女はいつも不思議だった なぜみんな一日学校や仕事をして、その後飲みに行けるんだろう。私は午前中でヘトヘトなのに。 そして彼女は自分が楽に生きるヒントを見つけた。 いつも今ではないどこかを見つめていたことを。 自分が言い訳ばかりしていたことを。 できないのは意思がないから、ではないが、 少なくとも環境を工夫することはできる。
楽しめないのは、自分た楽しいのはいつか、知らないからかも。
いつか、目の前に見えていることを、自分を、 受け入れられたらいいね。
どこか他人事な自分が嫌になってしまうよ。
計画を立てて、見直すようにしている。 気がついたら見直しが甘くなる(タスクの再列挙してないなど) 直前になり、〆切までに終わらない量のタスクを発見 爆死
いつものパターンで、自分の大嫌いで直さなくちゃいけないのに、 また同じことをしてしまうのです。
心配性だと思っていたら、どこか楽観的で未来の自分を頼りにしている自分がいるんだと思う。 毎回毎回自分が嫌になってしまうよ。
タスクの再列挙もするこたするんだけど、精度が足りていない。 どうしたら精度がつくのかしら。
勉強方法甘かった。必要な勉強列挙しているつもりだった。
今度の教採落ちる可能性の方が高い。
いつまでこんな未熟なんだろう。
学習管理ツールと用語(随時更新)
東京都の高校に順次wi-fiが設置される事もあり、 じゃあ生徒たちに有用なものはないかな?という思いから、ここにまとめていきたい。
ツール
Studyplus for School
スタディサプリ for Teachers
用語
LMS
学習管理システム:Learning Management System のこと。 e-learning を中心としている。 - 疑問 -- 東進ハイスクールや、スタディサプリみたいなものかな?
メリット
集団の進捗管理
デメリット
生徒それぞれの弱点や、具体的な学習計画の改善には向かない。 映像を流し、自分は別の作業をする、で隠れる事ができる
最後に
学校の授業には、基本的に「振り返りのスキルの伝授」が少ないと感じる。 手段としての振り返り(手帳の導入や、「p23-35 までやった」で振り返りが終わる。)
ぼやき
「動画を見る」「勉強を記録する」って前提に学習習慣がある生徒向けで。 学習の意義を感じていない、いわゆる底辺校と言われる学校には向かないかなって思ったりする。最初は「アプリ使う」事自体に関心が向くから、会員数の獲得としては有用だと思うけど、運用むずそう。
誰のための論文(教採)なのか。
教員採用試験の論文の話です。
教員採用試験の勉強をしていて思うことがある。
論文は価値観や問題に対する具体策を問われる事がある。(都道府県によって問いは異なるけれど。)
ある先生に論文を見ていただいた時のことだ。
その論文は、問題に対する具体策を記述するものだった。 そして荒れた学校であっても打てそうな策にしましょうと言われた。 その策が有用であるとの裏付けに、自分が学校現場で見てきた経験を書きましょう、 そして校長先生が「あ、こんな手があったか。うちの学校でも使えそう。」と思えるものを書きましょう、とアドバイスを受けた。
他の先生からも同様のアドバイスを受けた事がある。
でもモヤモヤする。 何がモヤモヤするかというと、 「校長先生を納得させる」という点である。
教員採用試験の論文採点は現職の校長先生が行うらしいが、 「え、それでいいの?」と思った。
悪い事はないけれど、でも、これからの学校を作っていくのは若い先生方も含まれる。新学習指導要領で「社会に開かれた教育課程」を打ち出しているのに、校長先生だけ納得させるような論文でいいの?と思った。校長先生方も社会に開かれた教育課程を意識していることは分かるが、リスクの面を多くみられそう。「やってみたい」アイデアを「どうすればできるようになるか?」と考えてくれる校長先生はいなさそう、、と思っちゃう自分がいる。
校長先生が低能だとか、そういう事を言いたいのではありません。知り合った校長先生方は全員素晴らしい人格を兼ね備えた尊敬べき方でした。 だけど学校の概念、先生の役割が変わりつつあるこの時代に、校長先生が納得するものを書いてしまっては、いつまでたっても社会の速さに追いつけないと思うのです。だって、高度経済成長期の校内暴力の時代から培ってきた価値観と、"ゆとり" だの言われて子供の自己肯定感の低さが目立つ時代から培ってきた若手の先生の価値観はきっと異なるはずだし、刺さる打ち手も異なるはずだから。そして百戦錬磨の校長先生だからこそ、芯が強いし、未熟な民間経験でもズレを感じる。例えば、異常に厳しすぎる校則とか。
「ああ、校長先生の為に書いているのか。そして校長先生はいい案があれば、受験生から取っちゃおうと思っているのか。」と思っちゃったのです(ひねくれすぎか。笑)
「学校1.0」 で止まっている学校もある中で、校長先生だけを納得させる案はどうなんだろう。。奇抜なアイデアはダメなんだろうな。。と思わずにはいられないのです。上意下達と聞く教育現場で、譲れない事は闘う先生でありたいと思った。何言いたいか忘れた。